2023年6月21日、京都・大原の築100年以上の古民家で暮らす、英国出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミスさんが、誤嚥(ごえん)性肺炎で死去されたとニュースで発表されました。72歳でした。
ベニシアさんは、京都・大原の古民家でハーブを育てながら暮らし、その自然と調和したライフスタイルが人気を集めて、NHK番組の「猫のしっぽ カエルの手」に出演されていました。
多くの人々にハーブとともに暮らす生活を広めたハーブ研究家として、また、ベニシアさんの誰からも愛される人柄に魅了されたファンがたくさんいました。
この記事では、ベニシアさんを偲んで、彼女のプローフィールについて紹介します。
ベニシアさんのプロフィール
ベニシアさんは、1950年12月27日にイギリス・ロンドンで生まれ、1971年に来日しました。
夫は山岳写真家の梶山正さんで、京都の大原にある築100年以上の古民家で自然と調和した生活を送りながら、200種類のハーブを育てハーブ研究家として活動した、日本に住むイギリス人女性です。
名前:ベニシア・スタンリー・スミス
(Venetia Stanley-Smith)
生年月日:1950年12月27日
職業:ハーブ研究家・英会話スクール経営者
生い立ち
ベニシアさんは、イギリスの貴族、カーゾン一族の出身で、母方の実家はイギリスでも有名な建築物として今も残っている、ケドルストンホールです。
これが自宅だったというのですから、どれほど名門の貴族だったのかがわかるかと思います。
母親はこの家の三女として生まれたジュリアナ・カーゾンで、その母と、俳優を夢見ていた父との間に、ベニシアさんは生まれました。どれほど裕福な暮らしぶりだったのだろうと想像しますが、2歳の時に両親が離婚してしまいす。その後、母は4回もの再婚を繰り返し、そのたびにベニシアさんも一緒に引っ越しをしました。
一見すると華やかな社交界、反面、閉ざされている貴族社会、母親はベニシアさんにも貴族との結婚をすすめましたが、そこに安らぎを得ることはできないと感じたベニシアさんは19歳、1969年に母国を離れ、インドを旅行して、それまでの生活では得られなかった真の目的を発見しました。当時のインドは欧米では文化人の憧れの土地で、多くの文化人がインドを訪れています。ビートルズやスティーブ・ジョブズも訪れていますね。
初来日
ベニシアさんは、1971年に香港から鹿児島に船で渡り、初来日しました。鹿児島から東京へ行き、そこでの生活を経て、1974年に岡山で日本人男性と24歳で結婚し、三人の子どもに恵まれました。
仕事と育児に追われ体調を崩しながらも英会話教室を運営していましたが、12年後の1986年に離婚となりました。
その時、ベニシアさんが親権を持ってお子さんを育てていくことになりましたが、父親にはいつ会ってもいいという「トモダチ離婚」をしたそうです。
離婚から6年後、ベニシアさんは1992年42歳の時に、山岳写真家の梶山正さんと再婚します。
前夫との間に生まれたお子さんが三人、長女のサチアさん、次女のジュリーさん、長男は主慈さんは、次男の悠仁さんは梶山正さんとの間に生まれたおこさんです。
ハーブとの出会い
1992年に梶山正さんと再婚し、翌年に次男を出産して、1996年に京都の大原に引っ越しをしました。
この大原で、今後の打ち込める趣味として「ガーデニング」を始め、ハーブ栽培をし始めたことが、のちにテレビ出演や映画への出演、書籍の執筆などの活動をする原点になりました。
引っ越しから6年後の2002年には、NHKの番組の「わたしのアイデアガーデン コンテスト」で特別賞をもらいます。
その前からベニシアさんはハーブ教室を始めていましたが、この受賞を機に本格的なハーブ専門家としてキャリアをスタートしていきます。
2001年から2003年「ベニシアの大原日記」が京都新聞に掲載され、2002年にはNHK番組での受賞、それから多くのメディアで取り上げられ、注目を浴びるようになっていきました。
2009年からはNHKの番組「猫のしっぽ カエルの手」の放送がスタートし、知名度がさらに上がっていきました。
ベニシアさんの魅力的な人柄をもって、当時まだハーブが一般的ではなかった日本の食卓に、そのおいしさと使い方を普及させたことにあると言われています。
職人や料理家の中では当たり前のことでも、まだ日本の一般家庭にハーブという文化が根付いていたかった頃だったので、ハーブ料理に興味がある人やハーブ栽培、またガーデニングというキーワードもまだまだ無名なときだったので、そこに興味がある人などから、ベニシアさんの番組を通してハーブとガーデニングがぐっと身近になったと、とても評判になりました。
その証拠に出演した「猫のしっぽ カエルの手」は10年間も続くご長寿大人気番組になり、ドキュメンタリー映画「ベニシアさんの四季の庭」にもなったほどです。
著書やテレビ出演、講演などのベニシアさんの活動で、「自然の恵みを大切にし、自然と調和して生きる生活」についてたくさんの人がヒントをもらったと思います。
ベニシアインターナショナル英会話スクール
ベニシアさんは、離婚前の1978年28歳から京都の長岡で英会話教室を始めています。
もともとのご職業は、岡山時代からの英会話教室の講師で、梶山正さんと再婚後にハーブ教室を始めています。
京都で運営していた英会話教室は、現在、ベニシアインターナショナル英会話スクールとして、経営が続いています。経営者としての才覚もおありで、べネシアさんはすごいですよね。
英会話スクールとかけもちで自宅で始めたハーブ教室は、長男の主慈さんのイギリス・オックスフォード大学での学費を捻出するため、という噂もあるようです。
ベニシアさんのお母さまはその当時、アイルランドでホテルを経営してましたが、ベニシアさんが日本に定住にするのを反対していたので、孫の大学資金といえども、一切金銭的な援助してくれなかったようです。
ベニシアインターナショナル英会話スクールは40年以上も続く、由緒ある英会話スクールになっています。
ベニシアさんの夫
夫の梶山正さんは、山岳写真家です。
長崎県の出身で、高校・大学と山岳部に所属し、大学中退後の24歳の時にヒマラヤ登山に挑戦しています。
著作には「関西の山歩き100選」や「ポケット図鑑日本アルプスの高山植物」などがあります。
その後、インドのさまざまなところを生活しながら旅行し、料理が好きだったことから日本に帰国して、京都でインドカレーの店「DiDi」の1店舗目をオープンさせました。
4年ほど経営したあと、梶山さんは再びインド、パキスタン、ネパールへ半年間くらい放浪の旅をし、帰宅後、京都大学の近くに2店舗目の「DiDi」をオープンしました。
結婚のきっかけ
このお店は今も営業しています。そのお店にベニシアさんがインド料理を食べに行き、二人は出会いました。
ベニシアさんも日本に来る前はインドを旅していたので、インド旅行という共通の話題で意気投合して結婚することになりました。
ベニシアさん42歳、梶山さん33歳のときです。
結婚式は山頂
二人は京都で同棲をはじめその10か月後に結婚することになり、南アルプスの標高3033mの仙丈岳の山頂で結婚式を挙げています。
山岳写真家の夫らしい結婚式でしたね。
ベニシアさんの視力低下
梶山さんも再婚、お互いに再婚同士でしたが、そのあとで長年にわたって夫婦で活動しており、その愛や笑顔がたくさんの人を笑顔にしています。
1996年の京都の大原の古民家への引っ越しが、のちのNHKの人気番組「猫のしっぽ カエルの手」に出演するきっかけになりました。
メディアの出演はベニシアさんが率先することが多かったですが、梶山正さんはそれを陰で支える存在でした。
お子さん四人も成人し、結婚して、お孫さんも誕生されています。
2015年ころから、ベニシアさんの視力が「PCA(後部皮質萎縮症)」という病のために低下していき、日常生活がおぼつかなくなっていくようになりました。
そんな目が不自由になってしまったベニシアさんを梶山正さんはフォーローしながら暮らしていたそうです。
ベニシアさんは視力の低下をとても悲しんでいたようですが、夫が料理をしてくれるようになったことを喜んで幸せに暮らしていたようです。
死因は誤嚥(ごえん)性肺炎
ベニシア・スタンリー・スミスは、アメリカのハーブ研究家で、多くの著書とともに、新聞やテレビ、映画、講演、セミナー、カレンダーなどで、ハーブの活用方法と栽培方法を、多くの日本人に知らせてくれました。
視力が低下し、大好きだった絵が描けなくなり、2021年9月からグループホームで暮らすようになっていたベニシアさんでしたが、2022年8月、コロナ感染を機に自宅に戻って、夫から介護を受けていたようです。
その際、体力が低下して、もともとの持病の非結核性抗酸菌症が悪化していたようです。
多くのファンが元気になることを願っていましたが、2023年6月21日、ご自宅で亡くなりました。
病気になっても前向きに明るく振舞っていたベニシアさん。
どうぞ安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りします。
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